「自分で考える」教育、その効果と限界

「どんな仕事でも受けた以上は自分の責任」これは、私が若い頃お世話になった上司から何度も言われたことです。

後年その人とちょっとトラブルになりまして、今はもう会うことも無いのですが、若かった自分にとっては、大いに刺激を受け、成長させてもらった存在。
ある時期までは、自分にとって理想の上司でした。

ここのブログは、企業の採用や教育を考えて行こうというのがテーマですので、過去私が部下として経験したマネジメントや経営手法を紹介したいと思います。

今回は、仕事の遂行に当たって、自己責任、目的理解、方法の創出を徹底した指導の紹介です。

3つの指導原則

  1. どんな仕事でも受けた以上は自分の責任で遂行すること
  2. 仕事を遂行をする時、必ずその目的を理解し、やり方は自分で考えること
  3. しかしまだ未熟だから、実行する前にその目的ややり方を必ず相談すること

「言われた通りやりました」「前例通りやりました」というのはご法度。自分が前やったことでも、もっと良い方法がないか必ず考えることになってました。(もちろん考えた結果同じやり方になるのはOKです)

加えて、これも方針として、「規則やマニュアルは必要最低限しか作らない」「何ごとも自分で考える癖を身に付ける」ということで、参考となるものも少ないか、全く無い状態。

こうなると、自分で考えるしかありませんよね。

人育てには一番の方法かも

過度なマニュアル化が進み「マニュアル通りやれば上手く行く」、あるいは指導者がやり方まで関与し「言われた通りやれば上手く行く」という状態だと、まぁ考えなくなります。

マニュアルや規則というのは、その会社だけの「仕事のやり方」ですから、そこに在籍している限りでは有用です。
しかし、その会社から外に出ると、ほぼ使えないという性質のものです。特に日本は企業を超えての標準化がされていませんから、企業ごとに仕事のやり方はバラバラ。

このことを件の上司から「ある自動販売機のボタンの押し方」だけを覚えていたら、「ボタンの位置が違う別の自動販売機が出てきたら手に負えない」(なんてことはないのですが)。
だから「自動販売機のそもそもの目的を知って」「その目的を達成する機能を考える」そうすれば「ボタンという機能の目的が分かり、使える」。比喩としてこんな説明をされました。しかも何度も。

確かに、この上司の元を離れ、他社に行ったときも仕事そのものには苦労しませんでした。

どんな会社でも中堅以上になれば、「自己責任」「目的理解」「方法の創出」は必須なものですから、若いうちからそれを身に付ける教育を施すというのは、考えとしては最も良い方法だと思います。

失敗の許容とリスクヘッジ

また「自分(上司)が対処できる失敗はOK」というのもよく言われました。
一般的によく言われるように「失敗こそ人を成長させる」というの実践していたのです。

一方で、どうしようも無い失敗は、「実行前の相談」というプロセスを通じて、事前に検知できる。ここで「大きな失敗をしそう」と思えば、指導する。
もちろん「失敗しそうだけど、まぁなんとかなりそう」という場合は、敢えてやらせてみる。という感じ。
(たまに「失敗すると思ったけど、敢えてやらせてみたよ」と言われることがあったのですが、本音を言うと、これは眉唾だと思ったこともしばしばありましたが。。。)

上司の成長も促す

こういう指導で育てられたので、自分に部下が出来たとき何の迷いもなく、同じ指導方法を採用しました。
その際気付いたのですが、この指導方法は、前提として、上司が優秀であり、部下より知識・経験とも豊富であることが求められますので、この手法を採用すると、上司も大変です。常に勉強、常に情報収集をして、自分の知識と経験をアップデートしておかないと、いずれ部下に取って代わられるますから上司の成長も同時に実現できるのです。

まぁそんなに深く考えずにスルーして、「失敗すると思ったけど、敢えてやらせてみたよ」と言ったことも多々ありましたけど。

この指導方法の限界

ということで、当時の私にはこの指導方法がマッチしたのでしょう。ストレスも無く、それなりに成長も実感しました。
ただ、今になって振返ってみると、限界もあったと感じます。

全ての人が育ったわけではない

私にはマッチした指導方法でしたが、なかなか馴染めない人も大勢いました。実は上手くハマった事例の方が少ないです。
お気付きかと思いますが、「そんな人は放っておいても勝手に成長する」。自分のことは置いておいて、ハマった人を思い返すと、まぁそうなのかと思います。

多分、小さい組織でのみ通用する方法

即効性はありませんし、手間がかかります。本来人育てに即効性を求めるのはおかしいと思いますが、日々のビジネスの中ではそうも言ってられないでしょう。特に業務プロセスが複雑化している大企業では、それぞれがある程度のレベルで均一でないとシステムが動かないでしょうから。
上記の「全ての人が育ったわけではない」と考えあわせると、相手の特徴によっては、まずは、マニュアルから入って形を覚えさせた後、この指導方法も選択肢の一つとして検討するでも良いのではないかと思います。

上司の知識や思考を超えるレベルの案件には通用しない

前段で上司自身も知識と経験をアップデートを求められると紹介しました。しかしそれも限界があります。
世の中は変化するし、上司は加齢とともにアップデートする力が低下します。いくら頑張ってもその経験や知識が生かせなくケースや、部下自身が成長して仕事の中身が高度になってくると、事前相談が全く機能しなくなりました。
本来の「相談」、つまり「お互いに分からない」内容の時は、上司側が見栄を捨てて、一緒に考えるという姿勢が必要でしょう。

しかしそれがなかなか出来ない。リンクの事例も原因は似たようなものだと思っています。

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どんな人向きか?

全ての人が「自分で考える」をベースとした指導で成長するわけではない。というのは前項で述べた通りです。
「放っておいても勝手に成長するような人」に「より大きく成長をして欲しい」というケースにマッチするでしょう。

最終的に、自分を超えて行く人も出てくると思います。
その時に全体の利益を考えるか、上司自身の面子を考えるか。その人の器が試されるときが来るという意味では、上位者、年長者への教育効果が一番かもしれません。

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