今回は少し違う話をしようと思います。
世の中には大企業もあれば中小企業、あるいは零細企業も沢山あります。
一般的には、採用には大きな会社、あるいは有名な会社が有利です。
大きな会社に入るのは、安定志向と考えられていますが、本当にそうなのか? 少し疑問を持っています。
ここでのメインテーマは「人材」「採用」「経営」ですから、その視点でもう少し深く考えてみたいと思います。
「人材を生かす」という意味で正しい
実は、「人材を生かす」という視点では、大企業である方が有利です。
人の才能は多種多様であり、採用時にそれを見極めるのは難しいことです。入社してから「考えていた能力とは違う」ということが必ず起こります。
大企業は仕事の種類も多種多様で、細分化されてるので、仮に「考えていた能力とは違う」と入社後に気付いたとしても、その人の能力に見合った仕事に転換することが可能なケースが多いでしょう。
一方で、中小企業は仕事の種類が限られている上に、個々の仕事の分量が少ないので、大企業であれば多くの人が関わっている仕事を一人でこなさなければならないケースが多いです。
以前を私が所属していた会社が取引をしていた大企業では「環境グループ」という部署がありました。私の記憶では4~6人が携わっていました。その時は私自身に知識もないのでどのような仕事をしているか知らなかったのですが、後日転職したときに、総務・経理業務の他にISO14001(環境マネジメント)の事務局も私の業務範囲だったことで、彼らが何をやっているか知りました。
このように、大企業では4人~6人で分担している業務を、中小企業では他の業務と兼務してこなさなければならないのです。
簡単に言うと、大企業はその人の能力が予定していた仕事と合致しなくても、他の仕事を割り振ることは比較的容易ですが、中小企業は予定していた仕事に能力が合わないと、選択の余地が少ないということです。まぁ退職という選択をする確率が高くなるでしょう。
(もちろん、大企業でもそう簡単に配置転換してくれない。ということは起こるし、中小企業でも現行の法律の元では、解雇のハードルが高いですから、個別事案で見れば「そんなことはない」ケースも多々あります)
このように「人が持っている能力を生かす」という点では、大きな会社の方が有利なのです。
これを纏めると以下ようになります。
- 人の才能は多種多様なので、才能に合う仕事をしてもらった方が、双方利益が高くなる
- 大きな会社の方が、業務が多様なので、合う仕事を見つけやすい
- そもそものところで、採用時点では人の才能を見抜けない
- 中小企業では、アテが外れたら解雇か飼い殺し(ただし日本の法制度の中では飼い殺しを選択せざるを得ない)
組織が大きくなることのデメリット
私自身、創業2年目従業員30名のIT企業に就職し、29年間在籍しました。この会社は最も従業員が多かったときは170名の社員が在籍しましたので、小規模の企業から中規模の企業への成長を見てきたことになります。
その後、副業を経て、一人起業したのですが、その立場で振返ってみると、それなりの人数がいる組織には「めんどくさいこと」も多かったと思っています。
コミュニケーションを密にする
企業というのは、複数の人が協力して成果あげるための組織です。
協力して成果をあげるためには、大きくは組織のあり方や方向性、小さくは日々の顧客対応について、個々の認識ある程度合わせる必要があるでしょう。
ところが、人が増えれば増えるほど、個々の認識を合わせることが難しくなってきます。
そのため、常に認識合わせの作業をしなければならず、日々のコミュニケーションを密にするだけでなく、会議を頻繁に開催する、あるいは相互理解と称して「飲み会」などを開くことになります。
調整に時間をかける
頻繁にコミュニケーションを取ったとしても、個々の認識を完全に一致させることは不可能です。
そのため、それぞれの認識違いによって利害が絡む対立が生じることもしばしばあります。
これは「部門」のような組織内組織間でも起こりますます。
組織としては、内部で対立があっては、成果をあげるのは難しくなりますので、ミスや対立が起きたときにそれをまるく収めるため、調整が必要になります。
個人の生活ではほぼ不要な密なコミュニケーション・調整
実は、個人の生活では、前述のコミュニケーションを密にすることや、利害対立の調整ということはほとんどありません。あるとすれば親子間や親戚が絡んだこと、隣近所のトラブルなどですが、よっぽどの事がない限り、大きな会社のような頻度で会議をすることもありませんし、単なる酒席を相互理解の場と捉えることもあまりないでしょう。
このように、会議や飲み会は会社でのみ頻繁に行われる行為なのです。もちろん気の合う同士では、話をすることもあるし、飲みに行くこともありますが、その場合は「認識を合わせるため」とか「相互理解のため」という目的ではないでしょう。
「多くの人の分業によって成果を出す」ということを突き詰めて行った形が大企業です。そのため個々の仕事は、細分化されていますので、個人の能力を生かす道が多いという利点があります。
その一方で、人数が多く、あまりにも分担が細分化されているため、コミュニケーションを密にし、構成員にはほぼ同じ方向を向いてもらうよう不断の努力をしなければならないし、そんな努力をしているにも関わらず、日々「人」が故に問題が発生し、それを調整し、ある人にとっては理不尽な形になったとしても解決しなければならない。というコストを支払続けているというのも大きな会社の特徴です。
大企業の本質
プロフェッショナルとは無縁なこと
繰り返しになりますが、前述した「組織が大きくなることのデメリット」は、個人やごく小さい組織で仕事をしている場合は当然皆無です。
例えば私のような一人で仕事をしている人間にとっては、コミュニケーションを密にする行為も、調整に時間をかけることも不要です。
取引先とのコミュニケーションは案件に特化してものであり、その範囲内では密にしなければなりませんが、多人数での会議を頻繁に開いたり、「飲み会」で相互理解を深める必要性も少ないです(もちろん個人的に気の合う人であれば、飲みに行くこともあります)。
さらに言うと、本当のプロと仕事した時の私の経験では、焦点は今取組んでいる(取組もうとしている)案件、あるいはビジネスであり、それについては少ない会話でほぼ方向性などは認識一致できます。
結局のところ、ビジネスに特化して考えれば、範囲が限定的なので、認識の一致も比較的容易なのです。
また、考え方が違うと思えば、その案件では最後まで組む必要はあるでしょうが、次回の案件は別の人と組めばいいので、「飲み会」で相互理解を進める必要はないのです。
会社の本質
今まで述べたことを突き詰めると、結局は「会社というのは、『その道のプロでもなく、特定の(主としてビジネス面の)能力が抜群でない人』が協力して成果を出すために最適化された組織である」ということです。
これは悪い意味ではありません。
最初に述べた通り、人の才能は多種多様ですから、ある人が持っている最高の能力がビジネスに上手くマッチしないことも多いはずです。
また、野球の上手い人のほんの一部しかプロ野球選手になれないことから見ても、その人の持っている最高の能力が、必ずしも他者より秀でているわけではありません。
そういう人たち、言葉を変えれば平凡な人たちがお互いに協力することで成果を出して、結果分配に与れるというのは素晴らしい仕組みです。
企業が大きくなれば、そういう仕組み作りに長けた人が居る確率も高くなるので、平凡な人たちが協力して成果を出す仕組みも洗練されたものになるでしょう。
つまり、大企業はそれをある程度システム化し効率的に運用し、コミュニケーションや調整にかかるコストを差し引いても、成果が出せる所なのです。
本当に優秀な人は評価され難い
上記までの定義が正であれば、逆に他者より能力がある人は、その能力を発揮できない可能性が高いです。
本当に優秀な人の能力は、社内に多数存在する、平凡な上司や平凡な年長者の能力を超えていることが多々あるはずです。
しかし、会社組織では上司に人事権がありますし、一般的には年長者という理由だけで上司となっている人が多いです。
ここで問題なのは、平凡な上司が優秀な部下の能力が正当に評価できるか? です。
私が見聞きした範囲では、まず不可能です。大谷翔平選手が新人のときに、その能力を多くの野球評論家が正しく評価できなかったことを見ても、人は自分の能力を超える能力は評価できません。
そう考えると、本当に能力のある人(自己評価が高いだけを含む)は、能力を発揮できず、会社を出て行くか、埋没してしまうか。のどちらかでしょう。
会社を大きくすることを目指すべきか?
以上、「人の能力の多様性」を生かすという意味では、本当に優秀な人を生かせない可能性が高い点を除けば、大企業がベストと言えます。
では、どのような企業も大企業を目指すべきでしょうか?
コストとメリットの見合いを考える
前項までを纏めると以下の通りです。
- 会社というのは、平凡な人たちがお互いに協力することで成果を出して、結果分配に与れるという仕組みである
- 多くの人が関わる会社(組織)では、コミュニケーションや調整のコストがバカにならない
ここで、①-②がプラスであれば、規模云々に関わらず、問題ありません。ただし、企業規模が大きいというのは、今まで述べた通り、これをプラスにする優れた手段であるということです。
中小企業に意外と多い赤字
現実には、上記の①-②が赤字になっている企業が意外と多いと私は考えています。
私が勤めた会社は、前述の最盛期には170人規模だったIT企業と、100人弱の製造業でしたが、どちらも①-②が赤字になっているように感じていました。
特に前者は経営者が「会社の規模を追わない」と公言していた会社でした。しかし、それは間違いであると今は思っています。
一般的に大企業は、コミュニケーションや調整のコストが多いと思われ、それを大企業病と表現されることが多いように思います。
多くの人はこの大企業の「コミュニケーションや調整のコストが多い」ことだけに着目しているように思いますが、本来見るべきは、メリットとコストの見合いです。
もし仮に「大企業病」でコストばかり発生し、メリットが無ければ多くの大企業は早々に倒産しているはずですが、そうはなっていません。
倒産件数で言えば、圧倒的に中小企業が多いことから考えても、①-②が赤字の会社が多いのだろうと思います。
途半端が一番いけない
今から考えると「会社の規模を追わない」と言っていたIT企業が一番中途半端でダメだと思います。
①の「平凡な人たちがお互いに協力することで成果を出して、結果分配に与れるという仕組みである」から②の「多くの人が関わる会社(組織)で発生する、コミュニケーションや調整のコスト」を差し引くわけですから、やるべきことは、①の最大化か②の最小化のいずれかです。
であれば、採るべき方策は以下のいずれかでしょう。
- 大企業のように、「規模」で①の「平凡な人たちがお互いに協力することで成果を出して、結果分配に与れるという仕組み」を効率化し、②の「多くの人が関わる会社(組織)で発生する、コミュニケーションや調整のコスト」を上回るようにする
- ②の「多くの人が関わる会社(組織)で発生する、コミュニケーションや調整のコスト」を最小化するために、徹底した少数精鋭主義とする
また、規模によらず、大企業のようなメリットの最大化を図る。あるいは、少数精鋭主義を取らずコストの最小化を実現できる方法を編み出せたのであれば、それを実行すれば良いのです。
件のIT企業は、このどちらもすることはなく、かと言ってそれらとは違う方法を編み出したわけでもないです。だから中途半端なのです。
結局のところ、現在ある程度の規模の会社であれば、会社を大きくしていった方が良い。と私は考えます。勿論業種や業態で違いはありますが。
個人が考えるべきこと
では、これから就職する、あるいは転職を考えている個人はどう考えるべきでしょうか? この点に触れて締めたいと思います。
実際、会社でなされているコミュニケーションを良くする取組みや、多くの調整作業は、個人としてはストレスが多いことです。
その点を踏まえ考えるなら、以下の二点に集約されるでしょう。
- やりたいことがはっきりしていて、能力に自信があるのなら、自ら起業するか、(自分のやりたいことが出来ると思われる)小さい会社で行くべ
- やりたいことは曖昧、あるいは能力に自信がないのであれば、まずは大きな会社への就職を目指すべきです。大きな会社で経験して行く中で、やりたいことがはっきりするケースもあるし、自分の能力に自信が持てることもあるでしょうから、その時、①を検討したら良いでしょう。