中小企業の役職者に必要なコミュニケーション能力の磨き方

ここのところ2回続けて「中小企業の総務部長に必要な~磨き方」というタイトルで書いています。

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元々は、「総務部長の役割、仕事内容、素質とは?」の中で「総務部長にはバランス感覚と、マネジメント能力が必要」と書いたので、上記2つのテーマを選んだのですが、書いていて「どちらもコミュニケーション能力に依るよな」と思い、今回このテーマで書いてみようと思います。

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もちろんコミュニケーションもかなり難しい分野ですから、これが正解というのはなかなかありません。
ただ、私自身コミュニケーションでは致命的な失敗をしていますので、その経験も踏まえて私の認識を紹介することで、どなたかの参考になれば、と思います。

コミュニケーションの目的はなにか?

そもそも何故会社でコミュニケーションが必要なのでしょうか?

いろいろ調べてみたところ、世の中では以下が目的として掲げられていることが多いようです。

  • 人間関係を構築又は円滑化
  • 情報の共有
  • 他者への働きかけ

まぁ、その通りなのですが、ちょっと次元が違うように感じます。
括りを会社と狭くして、もう一歩次元を高くして考えると、結局の所、会社でのコミュニケーションの目的は「社内外の課題や問題を解決するため」でしょう。

もちろん「社内外の課題や問題」は、日々発生していますが、それが今目の前で起こっている問題なのか? 中長期的な課題なのか? 大問題なのか? 些末な問題なのか? 様々です。

個人の失敗の報告や、それに対する上司の対応、叱責するか? フォローするか? は、大抵目の前で起こっている問題でしょう。
会社方針に基づく戦略・戦術立案や、実行計画及び実施については、中長期的な課題でしょう。
コミュニケーションには、もちろん雑談も含まれますが、それを続けるのも中長期的な課題に対する予防的な対処と言えます。

どのレベルでも共通して言えることは、会社には様々な情報背景を持った人が集まってくるのですから、課題や問題に対して、どういう方針で対処するのか? 具体的にはどういう対処をするのか? それぞれの分担はどうするか? など合意形成がなければ、その解決が上手く行かないのは明白です。

この方針、対処方法、分担の合意形成に欠かせない手段として、コミュニケーションが存在すると考えてよいでしょう。

コミュニケーションの阻害要因は?

では、なぜコミュニケーションは上手く行かないことがあるのでしょうか?
私の経験では、コミュニケーションを阻害する要因を作るのは大抵上司側です。
会社内のコミュニケーションの主導権は大抵の場合、上司側が握っているからです。

もちろん、部下側の問題でコミュニケーションが阻害されることもありますが、このブログは「役職者に必要なコミュニケーション能力」ですので、上司という立場で、コミュニケーションを阻害することなく、円滑に進めるには?という点に焦点を当てて行きます。

上司の何がコミュニケーションの阻害要因なのでしょうか?
私が上司としてやらかした時、あるいは部下として上司がやらかしたと感じたとき、大体共通することがありました。

それは、上司の「怒り」の感情と「見栄」「面子」です。これに囚われるとロクなことがありません。

怒り

前述の個人の失敗の報告に対する、上司の対応の中に、「怒り」の感情が入ることはよくあるでしょう。
上司が「怒り」の感情に囚われている状態では、方針・対処・分担の合意形成されません。
そもそも自分の対して怒っている相手と冷静なコミュニケーションを取ることは出来ないからです。普通は、一方的に意味無くやり込められて終わりでしょう。

見栄や面子

人間であれば、見栄を張りたいことや、面子を守りたいというのは当然あります。

特に役職に就いて、部下がいるようになると、その部下に対して見栄を張りたいと思うのは自然なのかもしれませんし、「上司なのだから部下より仕事が出来て当然」と考えたとしても不思議ではありません。また、この認識が自己鍛錬に向かえば、まぁ良いでしょう。

しかし、「上司なのだから部下より仕事が出来て当然」と、分からないのに見栄を張って分かったフリをしたり、自分の面子を守りたいがために、嘘をついたり。となると、「社内外の課題を解決する」という目的に対して、害しかありません。

対策は、役割認識と目的志向

では、上司として「怒り」や「見栄」、「面子」に囚われないためには、どうしたら良いでしょうか?
私は「役割認識」(=総務部長なら総務部長という役割の認識)と「目的志向」(=目的からアプローチする)の二つがポイントだと考えています。

自身の役割を知る

役職は、役割分担でしかありません。
見栄や面子に拘る人は、この点が分かっていないのでしょう。

会社というのは、いろいろな捉え方はありますが、根本的には、それぞれが得意な分野を分担し合って利益を創出するための組織です。
そう考えれば、例えば総務部長は、その会社で総務の仕事が得意な人の一人で、総務の仕事が得意な人の中で相対的にマネジメントが得意という人が分担しているに過ぎません。

ですので、当然、総務部長より総務の仕事が出来る部下という存在もあり得ます。
「見栄」や「面子」は、自分より立場の下の者にバカにされるんじゃないか? 立場が下の者に追い抜かれるのではないか? という「恐れ」の感情があるのではいかと思いますが、自分の役割に忠実であれば、そのような感情を持つのはバカバカしいことです。

目的からアプローチする

そもそもの目的に立ち返りましょう。
「社内外の課題や問題を解決する」というのがコミュニケーションの目的です。
そして、会社は「それぞれが得意な分野を分担する」組織なのですから、「課題や問題」に対して「自分の得意分野」、すなわち自分の分担に基づいて発言し、他の分担の人の意見を傾聴し、一緒に解決先を見つける努力をする。というのが本来の目的に合致する姿勢です。

こう考えると、誰かが「失敗した」というのも、仮にその失敗が原因だったとしても、「課題や問題解決」のために必要な情報の一つでしかありません。
その情報に対して、怒りをぶつけて解決するなら大いに怒ったら良いのですが、普通は、怒っても解決しませんので、その怒りは意味がありません。

普段の心がけることは?

前項までは「心構え」的なことを書いてきました。
実際コミュニケーションなんて「心構え」ひとつで、上手くなるものです。

とは言え、心身ともに未熟な私などは、ついつい「心構え」を忘れがちです。
そこで、3つだけ気を付けるようにしていました。

その3つとは、「対等」「正直」「正確」です。

関係する者全員が「対等」

例えば、問題が発生し関係者全員が集まって話合いをするという時、それぞれの立場で以下のように考えがちです。

問題の主担当部署の役職者
・自分の責任が重いと考えている
・他の参加者より自分の意見や判断が正しいと思い込む

上記以外の人(他部署の役職者や一般社員)
・自分には責任がないと思っている
・自分の意見を言うのが憚られる

それぞれがこう考えていると、結局は問題の主担当部署の役職者の意見に偏ります。
もちろん状況を最もよく分かっているのは担当部署だし、情報も一番持っているはずですから、参加者の中で最も正確な判断をする可能性が高いのは、問題の主担当部署の役職者です。

しかし、それでは関係者全員が集まって話合いをする意味はありません。
前述の通り、「『課題や問題』に対して『自分の得意分野』、すなわち自分の分担に基づいて発言し、他の分担の人の意見を傾聴し、一緒に解決先を見つける努力をする。というのが本来の目的」ですから、それぞれの発言そのものに価値があるのです。

これを実践するためには、話合いの冒頭に、関係者全員に等しく責任があり、取組むということを確認しましょう。
そして、特に役職者が「立場を超えて一緒に考えるという姿勢」を示すことです。

すべて正直に

状況の説明など、正直に全て洗いざらい話した方が上手く行くはずなのですが、なかなかそれが出来ません。
例えば、当事者が「実は状況が分からない」という事態になったときなどは「正直に分からない」とはなかなか言えないです。批判を受けるかもしれませんし、自分の面子を守るため分からないと言えない。と考える人もいるでしょう。

しかし、分かっていないことを正直に話さないばかりに、判断を誤るというケースが多いです。

ですので「ごめんなさい。分かりません」も含めて全て正直に言う。ということを心がけましょう。

発言は正確に

事実なのか? 意見なのか? 単なる想像なのか?を正確に伝えることです。
意見や単なる想像を事実と誤認して判断を間違えるということが多々あります。これは社内のコミュニケーションだけでなく、世の中でも頻繁に起こっています。

思わず「誰かが言っていた」ということを、さも大方の意見のように言ってしまうなんてことがありますが、これは「誰々の意見です」と伝えましょう。

想像をベースに意見をいう時でも、「単なる想像なんですが」と断った上で発言すべきです。

上位者が率先して実践する

上位者が見栄と面子に囚われず、自身の役割分担に忠実に。そして対等、正直、正確を心がければ、社員も自ずと本音を話すようになります。

逆に今まで本音で話をしていたのに、どうも本音を言わなくなったと感じたら、自分が見栄と面子に囚われ、対等、正直、正確さを失うという状態が続き、社員から信用されなくなったと考えた方が良いです。
私の以前の上司もあるときから見栄と面子に囚われていることが常態化した?と感じるようになりました。部下は直ぐ分かるものです。

社員から信用を失うとコミュニケーション自体が成立しなくなりますので、信用回復の機会もない。となりますので、そうなっていないか自省をした方が良いです。

自然体が一番

以上、私の経験を交えて説明しました。
しかし、私自身「役割認識」をして、何ごとにも「目的志向」を持つことで、「怒り」や「見栄」「面子」の感情を克服し、コミュニケーションが上手く行った。という経験はほぼないです。

時に「怒り」感情をもって失敗をしてしまう。あるいは相手が「怒り」の感情に囚われているのを目の当たりにして、哀れに感じたり。

「この人自分の面子を守りたいだけじゃん」と思ってバカにする一方で、よくよく考えたら自分も面子を守るために頑張ってただけ。お互いの面子を守るために不毛の争いをしてしまった。と後で気付いたり。

所詮人間なので、どんなに頑張ってもこれらの感情に囚われることはある。ということでしょう。

であれば、あまり肩ひじ張らずに「役割認識」「目的志向」で、「怒り」や「見栄」「面子」の感情を克服に努め、日常的には、「対等」「正直」「正確」の実践に努め、失敗して凹むというのを繰り返せば、昨日より少しだけど成長できた自分に気付く。というのを繰り返すというのが一番かと思っています。
前述の通り、「怒り」や「見栄」「面子」に囚われていることが常態化すると修復不可能ですが、一時的にそれに囚われるのは誰でもあることです。

結局、自然体で行こう。というのが一番でしょうね。

会社は商店じゃない。
組織を作り「会社」を作ること 採用はそのスタート地点

「求人しても集まらない。面接に来たけど全然マッチしない。入社したけど1ヶ月で退職してしまった。」こんなことの繰り返しで、ずっと]採用活動を続けている。そんなことありませんか?

「曖昧な定義で“戦力”になりそうな人を探す」より「“戦力”を定義し」、「組織を作り」、その上で「自社にマッチした考えの人を採用し」、「育て」、「戦力にする」と視点を変えてみましょう。

これすなわち経営。採用活動こそが最初に経営の力が試される場なのです。