年功序列堅持

私が新卒から29年間勤めた会社、入社当初は酷いものだったのですが、3年目に入社して来た上司は素晴らしい人でした。

後年その人とちょっとトラブルになりまして、今はもう会うことも無いのですが、若かった自分にとっては、大いに刺激を受け、成長させてもらった存在。
ある時期までは、自分にとって理想の上司でした。

ここのブログは、企業の採用や教育を考えて行こうというのがテーマですので、過去私が部下として経験したマネジメントや経営手法を紹介したいと思います。

「年功序列堅持」です。

昨今何かと批判される、「年功序列制度」ですが、件の元上司は制度が悪いのではなく、それを運用する人間が劣化したからだ。だから人間が年相応に成長していれば維持できる。と話してました。

いつもの通り、当時はそれを信じていたのですが、今考えると言葉遊びだったな。と思っています。

先輩は先輩らしく、上司は上司らしく

実は、このテーマでブログを書き始めて気付きがありました。

  1. 定義がよく分からない標語
  2. 具体策は全くない

本当は自分が居た会社とお世話になった上司をポジティブに紹介しようと思っていたのですが、どうもそういう訳にはいかないような気がしています。

まぁこのブログは経営の参考に。と思って書いているので、上記の二点はよくある経営が陥りやすい失敗ということで参考にしていただければ。と思います。

話を元に戻すと、今回も今までと同じように、「先輩らしく」「上司らしく」という曖昧な言葉から始まります。

年功序列が上手く行かなくなったのは、先輩や上司が「らしくなくなったからだ。」というのですが、「らしさ」とは何でしょう?

言ってみれば、先輩は後輩よりほとんどの面で優れており、上司は部下より多くの面で優れており、尊敬される存在であれば、年功序列は維持できるはず。という話です。

確かに理想だけど

確かに、先輩は後輩よりほとんどの面で優れており、上司は部下より多くの面で優れていれば、後輩・部下は彼らを尊敬するでしょうから、年長者が高い給料を受取っていても文句は言わないし、年長者の言う事を聞くでしょう。

しかし今も昔もダメ上司、ダメ先輩は存在していた(る)はずです。

どれだけ努力しても、勉強しても、経験を積んでも、素質からして無理ということがあるのが現実です。
役職に就くかどうかは、その会社の社員の能力の相対的な関係で決まるはずですから、ダメ上司というのは一定量存在してたはず。
また、先輩は年齢だけが条件ですから、ダメな先輩も当然存在したはずです。

以上は、かなり好意的な解釈ですが、現実には、生来の怠け者、愚か者が、偶然上司になってしまうことも多々あったことでしょう。

ですから、過去年功序列制度が維持できた理由として「昔の上司、先輩は『らしかった』」と言うのは、間違いだと思います。

よくある昔の美化に過ぎません。

年功序列が定着してた理由

私が考えるに、以下の理由で年功序列制度が定着していたのでしょう。

  1. 経済が右肩上がりなので、ダメ上司やダメ先輩を気にする必要がなかった
  2. 社会の変化スピードが遅いので、年長者の経験がそれなりに役に立った
  3. 儒教的な「長幼の序」がまだ色濃く残っていた

あくまでも私の経験からの認識ですが、昭和の時代は、経済が右肩上がりですので今より余裕がありました。多少ダメな上司が居たとしても自分たちの分け前に影響すると考えることはありませんでした。

また、社会の変化スピードも遅く、IT技術もまだまだですから、年長者の経験に基づく「頭の中のデータベース」に価値がありました。

加えて、「長幼の序」という考え方がまだまだあり、端的に言えば、相手がダメ上司、ダメ先輩でも、若者側が大人の振る舞いをして、見てみぬふりをしていた。ということです。

年功序列が廃れた理由

前項で述べた「年功序列が定着してた理由」も現在はほとんどなくなりました。

昔ほど経済に余裕が無いので、利益の分配もシビアになります。社会全体にダメ上司やダメ先輩を許容する、見てみぬふりをする余裕はありません。

社会の変化が激しいので、以前経験によって得た知識は陳腐化する上に、なにも年長者に聞かなくてもインターネットでほぼ調べられるようになりました。

今は、頭の中にデータベースを持つより、事に際して疑問を持ち、外部に蓄積された膨大なデータベースから、それを調べる能力の方が必要なのです。この能力に年齢は関係ないでしょう。

結局、上司らしさや先輩らしさが廃れたのではなく、時代が変わり制度が陳腐化したに過ぎないです。

評価できる点

ここまでの話でお分かりだと思いますが、この「年功序列堅持」は全く機能せず、お題目で終わりました。まぁ、この会社では、私の世代が最年長世代なので、私も含めバカばかりだったということですから、今は機能しているかもしれないです。

ただ、各個人がそれぞれの立場で自分の主観に基づいて「らしさ」を追求するのは良い事でしょうから、社員各々にそれを意識させた点は良かったと思います。

この話からのフィードバック

この失敗の原因は何か?今後のためにフィードバックするとしたら、以下の二点でしょう。

  1. 問題があったら原因を究明し、対策を講じるというのが原則ですが、今回紹介したケースは、原因の究明ではなく、短絡的な原因らしきものを採用してしまった。行動経済学で言うところの「ヒューリスティック」です。
  2. 解決策らしきものが単に問題の裏返しになっているだけで、何ら解決策になっていない。

そもそも、年功序列制度が上手く機能しなくなった原因を、「上司や先輩が『らしさ』を失ったからだ」(第一のミス)。だから「上司や先輩が『らしく』すれば良い」という答え(第二のミス)。

これでは、誰も動けません。
「らしさ」が(正解としても)抽象的、そして問題に対する答えが、ひっくり返しただけですから。

経営者がする社員への働きかけでも、上司が部下に指導する場合でも、このようなことは、よくやってしまうので、気を付けるポイントでしょう。

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