衝撃だった比較優位論
経済の世界では比較優位という考え方があります。
30代の頃たまたま読んだ本に書いてあったのですが、それほど優秀で無かった私には衝撃的な内容でした。
貿易大国のA国と、そのA国から見たら絶対的に弱小なB国があったとします。普通に考えれば、あらゆる製品でA国が絶対的に優位なので、B国は貿易ではA国に全く太刀打ちできないような気がしますが、B国はB国なりに得意な製品に特化し、またA国はA国の中でも得意な製品に特化し、A国の中では比較的不得意な製品はB国に任せる(絶対的に見れば、それでもB国の製品よりA国の製品が優れていても)ことで、A国、B国とも利益の最大化が図れるというものです。
拙い説明で申し訳ありません。。。。
仕事の分担にも比較優位を。。でも難しい
当時、いわゆる「仕事の出来ない部下」に悩んでいたのですが、この比較優位という考え方を仕事にも取り入れればいいのでは?と考え、目の前が明るくなったと記憶しています。
で、今回「比較優位」を再勉強しようと思って、ウィキペディアを開いたら、仕事を例にして分かり易い記述がありました。。。
有能な弁護士Aは、弁護士の仕事だけでなく、タイプを打つ仕事も得意だったとする。秘書は、弁護士・タイプの仕事において、弁護士Aより不得意である。更に、秘書はタイプはそこそこできるが弁護士の仕事はほとんどできない。しかし相対的な比較として各自の弁護士の仕事の能力を基準にすれば、秘書のタイピング能力は弁護士Aより優位であると見ることができる。このような場合、弁護士Aは弁護士の仕事に特化し、秘書にタイプの仕事を任せる。それが、弁護士・タイプの仕事が最も効率よくできるからである。
ウィキペディア「比較優位」
これ、直観的には納得です。しかし実践も難しい。
会社には、「できる社員」というのが居て、その人に仕事が集中するということがよくあります。
そのできる社員は、口では文句を言いながら実はその状態が好きという感じ。というのもよくありますよね。だから上司としてはついついできる社員になんでもかんでも依頼してしまう。
でも考えてみれば、できる社員には、パフォーマンスを発揮できる、かつ会社にとって重要な仕事に取組んでもらった方が良いのは、何も比較優位なんて概念を持ち出すまでもなく、明白です。
ではなぜできないのでしょうか?
仕事の分担が偏るのは?
自分の経験でしかないのですが、こんな理由かと。
- できる社員以外に依頼するのがめんどくさい。依頼する方から見ると、細かい指図しなくてもやってくれる人に依頼しちゃいますよね
- できる社員が他の人に仕事を渡さない。依頼者としては、仕事の割り振りをできる社員にして欲しいと思っているのかもしれませんが、当の社員がそれを抱え込むというケースが多々ありますよね。
結局個々の能力は把握できていないということではないでしょうか?
把握できていない故に、信用もできない。
特に、仕事のできる人は、自分が得意分野の他者評価は厳しくなりがちです。
そうなると、ついつい評価は100点か0点になってしまいます。この辺が原因かと。
分担を考え実践するのは経営者の分担
そもそも会社というのは、分業をして利益の最大化を図るためのチームです。「そもそも会社である目的は?」
そして、そのチームが機能するようにするのは、最終的には経営者の分担ですから、全体の分担を考え実践するのは、上司や経営者でしょう。
勿論「言う易し行うは難し」なのですが、だからこそこれを担う人は給与が高いのです。
人事に比較優位の考え方を取り入れる、すなわち「この人は、他の社員に能力的には全て劣るけど、本人の中で比較すればこの分野は得意」という点を見つけ出し、配置を決める。
その時のポイントは、もっと能力のある人が重要な仕事で活かせるか?です。
これが経営者がするべき仕事でしょう。
間違っても「各人が自分の得意なことを持ち寄って仕事をするべきだ」と言いっぱなしではなく、それを実践しましょうね。
それが経営者の役割分担なんですから。
採用時から比較優位で考えましょう
採用するときから、このような視点を持っていれば、企業も発展します。
何故なら、採用する幅が広がるからです。
自社のエースクラスの人が世の中にそうそう居るものではありませんから、それを追い続けるのは愚かです。
でもついついそれを追ってしまう。。。人情として理解はできますが、それではいつまで経っても人は取れません。
思い切って、今のエースを生かすには?という視点に変えてみれば、採用の幅は広がります。
そして、その人に素質さえあれば、上手く育つ可能性も出てきます。
だから、常々素質に着目しましょうよ。と言っているのです。