業務改善の際押さえるべき「人間の不合理さ」

私の専門のひとつに「業務プロセス改善」という分野があります。
若い頃は、対象が社内(しかも上司不在!)だったこともあって、「論理的に正しい」ことを好き勝手に実行するのみでしたが、その経験を生かして外の仕事をするようになって、必ずしも論理的に正しい方法が良いとは限らない。ということに気付きました。

その気付きとは次の2点です。

  1. 業務プロセス改善が必要になるのは、不合理な理由の連鎖で「仕事の澱」が溜まること
  2. 業務プロセス改善をする際には、この「仕事の澱」を生み出した「人間の不合理さ」にも配慮すること

以下、この二つについて説明します。

なぜ業務改善が必要か

業務プロセスは時間の経過と共に陳腐化する、あるいは不合理な状態となるのは当り前です。
そうなるのは、以下の理由からです。

ビジネスや環境の変化

これは当然ですよね?
外部環境も日々変わって行きます。それに合わせて自社のビジネスを変えて行かなければ、早晩行き詰まります。ビジネス事態が陳腐化するということですから、それに伴うプロセスも陳腐化する。ということです。

また、法的要件も時代と共に変わるので、ビジネスに直結していない事務部門でも、変化に対応しなくてはなりません。

知らず知らずのうちに溜まる澱

ビジネスの変化だけでなく、内部の事情でも起こります。これは陳腐化というより不合理化です。
そうなるのは、以下の理由があります。

上司の指示が定常化する

私もある顧客で目の当たりにしたのですが、
ある時点で欲しいデータを上司が要求する。実は、このデータはその時に判断するために必要だっただけなのですが、この要求を受けた部下は、その後毎月、データを提出していました。

外部から来た私から見ると「なぜこの資料を毎月作っているのか?」分からないものだったので、その上司に確認してみると、資料を受取っているものの、それが何かも分からない状態。

私が「どこかのタイミングでこれをデータとして欲しいと言わなかったですか?」と聞いたところ、「そう言えば何年か前に、言った記憶がある」とのことでした。

これは極端な例で、どっちもどっちという話なのですが、この手の話は良くあることです。

念のための連鎖

ミスへの不安からや、業務プロセスそのものを分かってないことから、なんでも「念のため」にやるというケースが多いです。

念のため、書類を作ろう
念のため、チェック回数を増やそう
念のため、取っておこう

等々です。

また、会社ですから、指示は上から下に流れるのが普通なのですが、その指示内容によって、上から下へ流れて行く過程で変質してしまうことがあります。特に「やるな」という指示はその傾向があります。

これは業務の話ではないのですが、私が部外者として体験し、そのバカさ加減にあきれた話です。

ある時、超大手の総合電機メーカーの一部門が、談合で営業停止命令を受けました。その総合電機メーカーが決められた期間営業停止したのは当然ですが、傍目から見るとそれとは全く関係ないIT子会社の末端で「営業停止命令につき、会社内での会話禁止」となって、業務に支障を来したという話です。

なお、このIT子会社は、営業停止命令を受けた総合電機メーカーの部署とは違う県(隣接もしていない県)で、業種も全く違います。営業停止命令はやらかした業界での活動が出来なくなるだけでしょうから、まず対象ではないと思います。

ではなぜ「営業停止命令につき、会社内での会話禁止」なんてことになったか?
親会社の全く関係ない部署とは言え「営業停止命令」が出たという大衝撃とともに、トップから「気を付けるように」という指示が下に流れて行く過程で、それぞれが「念のため」を付加して行ったのです。

  1. 「営業行為」とは何?→念のため、取引先との接触は全て業を「営業」とした方が間違いないだろう
  2. 「取引先」とは何?→自社以外の会社全てとした方が無難なので、念のためそうしよう
  3. 自社以外の会社から派遣で来ている人はどういう扱いなのか?
    念のため、他社に所属している社員は全て「取引先の人」とした方が良いだろう
  4. 取引先の人と「接触」とは?→念のため、仕事に関わる会話をするのは接触としよう
  5. 職場では会話は原則全て仕事に関わる会話では?→その通り、だから念のため、派遣で入っている人とは会話をしないようにしよう
  6. 職場によっては社員と派遣の区別がつかないのでは?→区別がつかないのなら、念のため、社内での会話は禁止にしよう

これ、盛っているようですが、当時この会社の管理職に聞いた話です。
私は一応取引先の人間だったので「本当はあなたと会話しちゃいけないんだけど」と言いつつ教えてくれた内容です。
その人と個人的に親しかったので、「おたくの会社バカなの?」と言っちゃって、苦笑されたのを覚えています。

面白いから紹介しましたが、前述の通り普通の仕事の中でこの類の話がごまんとあります。この「念のため」の連鎖が、不合理な仕事を生み出すのです。

ミスへの過剰反応

上記の「念のための連鎖」の類似です。
「念のための連鎖」は、論理的に考えられないことから来る不安感が発端ですが、こちらはミスをしたときの対策が発端です。もちろん論理的には考えられていません。

典型的な例は、ミスの原因を「チェック漏れ」としてしまうことです。
ミスが起こると、その原因は何か? となりますが、これを短絡的に「チェック漏れ」と結論付ける。本当は、ミスはチェック工程より前で発生しており、チャック工程は、そのミスを検出するために行っているのです。

だから、本当はミスが作りこまれたところを改善しなければならないのに、「チェック漏れ」が原因と誤解しているので、「チェックの強化」をしてしまうのです。

二重チェックで、ダメなら三重チェック、それがダメなら四重チェック。なんて話になります。
言うまでもないですが、チェック工程でエラーを検出するというのは、かなりの労力と時間がかかりますので、何重にもチェックをするというのは、それだけ負荷が増加します。
その一方で、チェック回数を増せばそれだけチェック行為ごとのエラー検出率は落ちます。
それに、私のようなのが3人目のチェック者だったら真面目にチェックしないでしょうから、全体のエラー検出率も落ちる可能性もあります。

部分最適の坩堝

全体を見回して「どう改善しようか?」と考えるのが理想ですが、なかなかそのような思考には向かいません。
多くの場合、「その時、その場で最適な改善」をしてしまい、会社全体で見ると同じような業務を複数の部署でやっている、ある程度の期間が経つと、部署内でも同じような業務を複数やっているというケースが多くあります。

このように「上司の思いつき」「担当者の『念のため』」「手っ取り早いミス防止策」「その時、その場での対策」が複合的に絡み合って、「仕事の澱」が溜まります。

私の経験では、業務改善をしなければならない理由のせいぜい1割「ビジネスや環境の変化」で、あとの9割は「仕事の澱」です。

業務改善をする際に配慮すべき人間の不合理さ

前項で例に挙げたことは、外部の人間から見たらまさしくバカバカしいことですが、内部では至って本気だったりします。中には私に話してくれた人のように内心バカバカしいと考えているのですが、表立って異議を唱えることはないようです。

そして、傍から見たら不合理でも、現場ではそれが正であり、それなりの理由があります。

しかし、多くの改善は、前述の「業務改善が必要となる理由」のほとんどが「仕事の澱」であることも、それが起こる根本的な原因を調べることもせず、論理的な正解で進めようとして失敗します。

根本的な原因は何でしょうか?
それは、そもそも人間は論理的、合理的だけでは、動けないという普遍的な事実です。

プロセス変化がすぐには出来ない

どんな不合理なことでも、今やっていることに手順や教育、あるいは道具も最適化されてます。
それを、論理的な正解だけで変えようとするのは無理があります。変化は意識を変えれば出来るのでなく、労力とお金と時間が必要なのです。

例えば、未だにファックスで書類を送っているのは不合理なので、メールで書類を送ろう。となった場合を考えてみましょう。

  1. 新しいプロセスの設計(効率的で、ミスを少ない仕組みを作る)
  2. 新しいプロセスへの対応、教育
  3. 新しい機器(この場合パソコン)への対応、教育
  4. 効果測定と改善

細かく見るとまだまだ沢山ありますが、この辺までにしておきます。
上記は当事者外の人、実際に手を動かすわけではない人が見ると大した労力もお金も時間もかからないと思うでしょう。確かに個別のプロセス一つ一つは大したこと無いかもしれません。
しかし、これを実行する立場になってみると、感情を含めてかなり大変だ。と思うことでしょう。

ましてや、日々の業務に追われている状態、例えそれが「仕事の澱」が原因だとしても、目先の仕事に加わる負荷と、将来自分の負荷が減るかもしれない。という予想を天秤にかけて見ると、その時点で、やっぱりファックスを使い続ける。という判断の方が合理的です。

最近の事例では、全国の保健所が、せっかく導入したITシステムを使わず、旧態依然のファックス利用をしているというのは正しくこの事例だと思います。

多くの人は、問題発生の原因は属人的なものと考えがち

多くの人は、問題発生の原因は属人的なものと考えがちです。
なぜかと言うと、その方が楽だからです。

例えばミスがあったとして、そのミスの原因を究明するのは骨が折れます。プロセスを洗って、どこに問題があるか辺りを付けて、実験をしてみる。ということを繰り返して始めて原因らしきものが分かる。という類のものですから。

ですから安直に「誰々の問題」と片付けがちです。

そもそも人間はミスするものですから、本来はそれを前提にした体制、システム、プロセスを構築しなければならないのですが、普段から「誰々の問題」と片付けている人は、そのような思考に向かい難いので話が噛み合いません。

当事者は真剣

一般的には当事者は、自分の仕事に対してはだれよりも真剣に考えています。そして、最も情報を持っているのも当事者です。
情報を持っていて、真剣に考えているのですから、外部の人間が思いつくようなことは、当事者は既に検討済みと考えた方が良いでしょう。
それが出来ないのであれば、全く別の要因があるのです。

外部の人間が思いつきで批判するようなことは、避けた方が良いのはもちろん、目に見える事象だけで批判し、反発を招くのは愚かなことです。
当事者外の人間は、当事者を尊重し、彼らと一緒に改善をしようという姿勢であるべきです。

まとめ

外部からのアプローチで改善を目指す人は、論理的な正解だけを主張し、前項で紹介した「プロセス変化がすぐには出来ない」「多くの人は、問題発生の原因は属人的なものと考えがち」「当事者は真剣」という点に気付かないことが多いです。

そして失敗します。

ですから、改善を目指す人は、現場レベルの一見不合理とも思えることにも十分配慮すべきなのです。場合によっては不合理なものを敢えて残す。ということもする必要があるでしょう。

何故なら、論理的な正さだけで進むのであれば、そもそも「仕事の澱」は発生しないのですから。「仕事の澱」があるということは、その背景に「人間が持つ不合理さ」があるからなのです。

会社は商店じゃない。
組織を作り「会社」を作ること 採用はそのスタート地点

「求人しても集まらない。面接に来たけど全然マッチしない。入社したけど1ヶ月で退職してしまった。」こんなことの繰り返しで、ずっと]採用活動を続けている。そんなことありませんか?

「曖昧な定義で“戦力”になりそうな人を探す」より「“戦力”を定義し」、「組織を作り」、その上で「自社にマッチした考えの人を採用し」、「育て」、「戦力にする」と視点を変えてみましょう。

これすなわち経営。採用活動こそが最初に経営の力が試される場なのです。