コミュニケーション上手と自覚しているマネージャーがやらかす間違い3選

前回、「中小企業の役職者に必要なコミュニケーション能力の磨き方」というタイトルで書きました。

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ここのところ2回続けて「中小企業の総務部長に必要な~磨き方」というタイトルで書いています。 [sitecard subtitle=関連記事 url=https://9973.work/%e3%83%9e%e3%83%8d%e3%82%[…]

どちらかというと「心構え」的なことだったので、それを補足する意味で、実例を挙げてみようかと思います。
いずれも、自分がやらかしたことや、上司がやらかして私が不信感を持ってしまった実話ですので、参考になると思います。

やらかし3選

私もいろいろやらしてますし、同じようなことを他人がやらかしているのをよく見てきました。
いずれも、ほぼ無意識。
それぞれの性格から、傾向みたいなのはありますが、本質は一緒だ。と思います。
「あれダメじゃん」と思っていたことを、自分もやっているという事実に恐れおののき、「人のふり見て我がふり直せ」というのが真理だ。と感じます。。。、

質問返し

部下からの質問に対し「君はどう考えているの?」と返す。
もちろんマネジメント手法として、質問に答える前に意見を聞くというのはありですが、これをしょっちゅう使ってはダメでしょう。

多くの場合、質問に対して、自分が自信のある答えを出せないときに使ってしまいます。

相手が何も言えなければ、「まだまだだな」「もう一度自分で考えてみろ」みたいな対応をして終わり。結局質問には答えません。
相手が何か意見を言えば、それを否定する理由を並べ、相手に意見とは逆の結論にもって行きます。

どんな意見にも長所と短所があるので、否定する理由は幾らでもあります。
肝心なのは複数の意見の長短を比較してより良い意見を採用することなので、元々の質問者の意見が採用されることもあるのが普通ですが、そうはなりません。

若手で経験の浅い部下であれば当座は「うちの上司理論的で凄い」となりますが、それなりの経験を積んだ人相手には、「理由は分からないけど、この人マウント取りたいだけ?」と疑念を持つでしょう。

代案なき批判

政治の世界での野党や、マスコミがよく使う手法です。
政治だけでなく、ビジネスでも日常の生活でも「これが正解」ということの方が少ないですから、良い点と悪い点があって、そのバランスの上で当事者は判断しているのです。

ですから、その行動を批判しようと思えば、批判の種は沢山あります。
この批判の種を必要以上に強調して、当事者を批判するのです。

代案がちゃんとあるような健全な批判は良いのですが、この手の特徴は野党やマスコミを見ていれば分かります。
批判に終始して「代案がない」のです。

直属の上司から、代案のない批判ばかりされたら、部下は「・・・・」となりますよね。

実は質問に答えていない

例えば「AとBを両立できないとき、どちらを優先すべきか?」という問いに対し、「頑張って両立せよ」と返答するケースです。

そもそも、それが出来たら優先順位なんか確認しません。
それが出来ないから優先順位を確認するのだから「頑張れ!」では答えになりません。

このケースは、こちらでも紹介しています。

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これは一例ですが、実際に質問をはぐらかすような返答をして話を終わらせる。というのはよくやりますよね。

「やらかす」時の心理状態

自分自身や当時の上司のやらかしを振返ってみると、心理的なものが大きく関係していたと思います。
余計なことを考えず、仕事の成果や組織の成功に焦点を当ててるときは、そんなに失敗していません。
どちらかというと、「中小企業の役職者に必要なコミュニケーション能力の磨き方」で書いた、「怒り」の感情や、自己保身(「見栄を張りたい」「面子を保ちたい」など)に囚われていたときに、前述のようなことをしていました。

前述の「やらかし3選」をそれぞれどんな心理状態だったか? 考えて行きましょう。

「質問返し」の心理

これはなんと言っても、質問への答えを自分で思いつかない。そしてそれを知られたくない。という心理でしょう。見栄、面子です。
質問者に逆質問し、答えが返ってくれば、それをヒントに自分の答えを導き出せば良いのです。
良い案を出すのが目的ではなく、相手に自分が優秀だと思ってもらうことが目的なので、答えはなんでもいいのです。

また、質問者がヒントをくれないと自分の答えを出せないので、質問者の能力や認識不足に話をすり替えて終わらす。ということです。

「代案なき批判」の心理

基本は「怒り」です。
その「怒り」の源は、「相手が何をやっているかよく分からない」しかし「分からないことを悟られたくない」という見栄や、「状況を逐一報告しない」ことから「蔑ろにされた」という面子だったりします。
こんな状態ですから、既に一時的な「怒り」は通り越して嫌いになっている場合もあります。
もうこうなると人間関係が崩れていますから、批判のための批判になってしまいます。

また、別視点で見ると「当事者として頑張っている人より、外野にいて批判だけをする人」の方が、優秀だと勘違いする人が結構な割合で存在します。
この理由は分からないし、日本だけなのか世界的にそうなのか不明ですが、とにかくそういう風潮があります。

見栄っ張りにとっては、リスクを犯さず評価されるという意味で、まぁおいしいですよね。そういうのを狙っちゃうということもありますね。

「実は質問に答えていない」の心理

まず問題は、質問の意図が分かっていない。そして、現場の状況を分かっていない。
この二点から、このようなトンチンカンな答えになります。

これは、「怒り」や「見栄」「面子」というよりも、自身の役割認識への理解不足です。
部下から「AとBを両立できないとき、どちらを優先すべきか?」という質問が出た時点で、マネジメントの問題の可能性が大きいのですから、思いつきで適当に答えるのではなく、マネージャーはその原因を調査し、手を打つべき案件です。

質問の意図が出来ない、現場の状況を分かっていない、そしてその質問が出ること自体の問題点に気付かない。を合わせるとマネージャーの能力不足です。

コミュニケーション上手ほど失敗する

前項で、「やらかす時の心理状態」を考えました。自分の経験もあるので、振り返ると恥ずかしい限りですが、後付けとは言え、振返って赤面しているのはまだマシな方です。
本当にやっかいなのは、本人が無意識・無自覚なケース。そして無自覚な故に定常化しているケースです。

なぜそんなことになるのでしょうか?

コミュニケーション上手と勘違いする土壌

マネジメント層に属する多くの人は、コミュニケーション上手と自覚していると思います。
部下と話すことも多いし、社内行事などでスピーチする機会も多いでしょう。経営者クラスになれば外部のセミナーなどで講演することもあるでしょう。

私自身、元々はしゃべるのは苦手だったのですが、役職に就いて、上記のような機会で話すようになってから、比較的得意になりました。

ここに勘違いする土壌があると思っています。それぞれの場面で見て行きましょう。

部下との会話

部下との個別の会話でも、会議でも同じなのですが、「やらかしている場面」の部下の反応を想像すると、大っぴらに反対の意志表示をすることはまずないでしょう。
こんな極端な場面でもそうなのですから、普段の会話などで多少おかしなことを言ったとしても、裏でいろいろ言う事はあっても、表立って反論することは少ないです。

スピーチや講演

スピーチや講演は、基本的には一方的なコミュニケーションになりますので、反論されることは無いでしょう。普通は皆さん大人しく聴いてくれますよね。
また、質問があったとしても称賛を意図したものか、当り障りのないものかのどちらかでしょう。

このように会社での日常的会話や、晴れやかな舞台での経験が、「自分はコミュニケーションが上手」という勘違いを起こす下地になっていると思います。

講演では、みんな大人しく聴いてくれる。
社内での会話でも、反論されることない。

それは、多くに人が心の中で思っていることを表に出さないからなのですが、この体験から、「自分が話せば誰でも理解し納得する」と自信を深めることになります。

言うまでもなく、無反応は理解し納得しているという意味ではなく、本当は、理解できない、納得していないときこそ無反応になるのですが、話している本人は、反論もないことは理解し納得していると思っているのです。

優秀な人がなぜ失敗するのか?

とは言え、その会社で役職者や経営陣にまでなった人ですから、優秀な人のはずです。
そんな優秀な人が、なぜコミュニケーションで「やらかす」のか?

まず自分がコミュニケーション上手と思っているので、とにかく主導権を握りたがる傾向があります。

そして「中小企業の役職者に必要なコミュニケーション能力の磨き方」で挙げた中の「見栄」や「面子」が悪く影響するのです。

人間ですから、一時「怒り」「見栄」「面子」に囚われることもありまます。しかし、すぐ冷静さを取り戻すのであれば、問題はありません。

繰り返しますが、問題なのは、それが定常化したとき。それはどういうときか?

何等かの事情で今の動きに「ついていけない」「分からない」というときです。
例えば、周辺情勢が変わって過去の経験が生かせない、加齢により判断力が鈍るなどの時に起きやすいように思います。

「ついていけない」「分からない」ということに優秀な自分が耐えられない。周囲からどういう評価をされているか? 不安になる。
「自分のことをバカにしていないか?」と思ったら「怒り」になるし、「みんなから評価されないのでは?」と不安になったら「見栄」「面子」に拘るようになる。
このような感情に変わることで定常化するのでしょう。

確証バイアス

ご存知の方も多いと思いますが、一応説明すると、「自分の思い込みに有利な情報だけを集めて、不利な情報は無視してしまう」ことです。
これにより、自分の思い込みはより強固なものとなっていきます。

「自分のことをバカにしていないか?」と「怒り」った状態では、その証拠を集めてしまう。
「みんなから評価されないのでは?」と不安になったら「自分は優秀である」証拠を集めてしまう。

なんてことでしょう。

最後に

ということで自分の経験をもとに考えてみました。
幸いなことに、今は「怒り」「見栄」「面子」とは関わらない生活をしていますので、平穏です。
そんな状態なので、落ち着いて、過去の恥を反省できているのかと思います。これも確証バイアスの可能性がありますが。。。

このように振返ってみると、話すことがコミュニケーション上手なのではない。ということに気付かされます。
結局、「人間の耳は2つ、口は1つ。だから話すことの倍聞け」というのは正しいということなんですね。

会社は商店じゃない。
組織を作り「会社」を作ること 採用はそのスタート地点

「求人しても集まらない。面接に来たけど全然マッチしない。入社したけど1ヶ月で退職してしまった。」こんなことの繰り返しで、ずっと]採用活動を続けている。そんなことありませんか?

「曖昧な定義で“戦力”になりそうな人を探す」より「“戦力”を定義し」、「組織を作り」、その上で「自社にマッチした考えの人を採用し」、「育て」、「戦力にする」と視点を変えてみましょう。

これすなわち経営。採用活動こそが最初に経営の力が試される場なのです。