評価基準は自己成長

私が新卒から29年間勤めた会社、入社当初は酷いものだったのですが、3年目に入社して来た上司は素晴らしい人でした。

後年その人とちょっとトラブルになりまして、今はもう会うことも無いのですが、若かった自分にとっては、大いに刺激を受け、成長させてもらった存在。
ある時期までは、自分にとって理想の上司でした。

ここのブログは、企業の採用や教育を考えて行こうというのがテーマですので、過去私が部下として経験したマネジメントや経営手法を紹介したいと思います。

今回は「評価基準」です。

社員の評価は、通常は業績への貢献などでされるものと思いますが、私のいた会社は、評価基準は、「この期間に自分が如何に成長したか?」という一点だけでした。

いつものごとく当時は大好きだったのですが、今考えると変な評価基準です。というか基準ですら無い。「どうやって評価するの?」と思いますよね。

そもそも人は他人の評価は出来ない

件の上司は、「神様でないんだから、人は他人の評価なんて出来ない。世の中に沢山ある人事評価の決定版みたいなものを含めて、全て『人の評価』はいい加減なもの」と公言していました。

そして「そもそもいい加減なものなのだからいい加減な基準にしても構わない」と、以下を基準としました。

  • 仕事の成果
  • 努力
  • 誠意

そして、給与や賞与の査定に当たっては、「自分の努力で、当該査定期間に如何に成長したか?」。上記の2つ目を重点に評価するということですね。

一方で、評価する方に対しては、「いい加減なものだからこそ、評価者は誠実に評価する」としていました。そりゃ当然ですが。。。

私は、彼のこのような物言いが好きだったんですが。。。今から考えるとかなり飛躍していると感じます。

自己申告書

評価基準が「自己成長」ですから、給与改定・夏の賞与と冬の賞与の年2回「自己申告書」を本人に書いてもらいます。

細かくは忘れましたが、その設問がまた酷くて「この期間どんな成長しましたか?特に成長したと思う点を3つ挙げ、その理由も合わせて書いてください」みたいな設問が5つぐらい。
もちろん私も社員ですのでこれには悩みました。半年で3つって。。。小学生ならあるかもしれないけど。。。と率直に思ってました。

一方で、その自己申告書を全て件の上司が一人で読んでいました。そして毎回「かなり辛い。。」とこぼしていたのを覚えています。

自分も後年査定する立場になると、読むのが辛かったです。
出来るだけその人の良い点を拾いだそうとしてるんだけど、書いている本人が適当。「どこかで見たことある?」と思って半年前のものを見ると、全く同じ内容だったり。。。。
いつもゴールデンウィークやシルバーウィークは家で徹夜してました。。。だって「評価者は誠実に。。。」となっているんで。

質問内容を変えたら?

実は若いころ、「自己申告書」の内容変更を進言したことがあります。

  1. 質問項目をもっと具体的にした方がいい
  2. 給与や賞与の査定に使うのであれば、点数評価した方が良い

そもそも年齢や役職で求められるものが違うので、具体的に「こんなことして欲しいがそれが出来ているか?」と問えば、多少なりとも自分が求められていることが分かるはずです。
評価をするなら、評価基準は具体的にした方が良いのではないか?と。

しかし、完全スルーされました。理由は未だに分かりません。

自分が評価する立場になって

前述の通り、後年私も評価する立場の一人になりました。

その立場になってみると本当に嫌な仕事です。他人様を評価するなんて不遜な行為なんだ。と思うと、言われなくても「評価する者は、誠実に評価するべき」となります。
そう考えないと、自分の精神状態を平衡に保つことが出来ないです。

で、問題の「自己申告書」ですが、抽象的という原則は変えないものの、少しでも良いものにしたくて、いろいろやりました。

  1. 各人が自己申告書を書くときに合わせて、毎回、質問の主旨を細かく書いて社内ブログにアップする
  2. 自分が管轄する部署の人に対しては、全員に自己申告書のフィードバックをする(面談又はメール)
  3. 自己申告書全体の総括を社内ブログに掲載する。全体としてここが足りないとか、次回はここを重点的に考えた方がいいとか

元々の抽象的な質問は残ったままですから中途半端なものですが、出来るだけ具体化をしようと試みました。(今だったらさっさと制度を変えちゃいますが、一回スルーされていることもあって、当時はそこまで考えませんでした)
当然ですが、直ぐには効果は出ませんので、抽象的な質問と抽象的な回答から他人の収入に関わる具体的な数字を決めなければならないという苦行を続けざるを得ませんでした。

企業の継続を前提にする場合は間違った施策

散々苦労して徹夜までして、では私のアウトプットはどうだったか?というと、やはり「適当」と言わざるを得ません。抽象×抽象では、まともな理屈を導き出すなんて私には無理。無駄な徹夜をしたという点だけは誠実と言えるかも。。。

創業者に多いと思いますが、それを始めた本人は、自分の中ではそのことを理解して、ベストな方法と考えているのです。しかしそれを言語化できない。

それを受け継ぐ者は、違う人間ですから、始めた人の考えを全て理解できません。まして言語化できない類の事を理解するのは不可能です。

本来、上に立つ人は、自分が居なくなったときのことを考えるべきでしょう。
後継者に自分と同じアプトプットを求めるか、違うアプトプットを求めるかは、内容によって違うと思いますが、評価のような繊細な問題は、前者です。
誰がやっても、ほぼほぼ同じアウトプットを目指すべきです。そうしないと、普通は社員が不信感を持ちます。
事実、転職サイトで、この会社への書き込みを見ると、「適当」「依怙贔屓」などと書かれています。

「神様でないんだから、人は他人の評価なんて出来ない。」というのは正しいです。真に公平で、客観的な評価なんかできるわけないです。
だからこそ、誰がやっても同じアウトプットを「目指して」努力すべきだろうと今は思います。

でないと結局一代だけの職人さんがやってた会社として、早晩無くなりますよね。

会社は商店じゃない。
組織を作り「会社」を作ること 採用はそのスタート地点

「求人しても集まらない。面接に来たけど全然マッチしない。入社したけど1ヶ月で退職してしまった。」こんなことの繰り返しで、ずっと]採用活動を続けている。そんなことありませんか?

「曖昧な定義で“戦力”になりそうな人を探す」より「“戦力”を定義し」、「組織を作り」、その上で「自社にマッチした考えの人を採用し」、「育て」、「戦力にする」と視点を変えてみましょう。

これすなわち経営。採用活動こそが最初に経営の力が試される場なのです。